ある日、友人との会話の中でこんなことがありました。
A地点とB地点(これが分かる人は相当なオトナっすね!)があり、その日は私は当然A地点に行くと思っていました。
それなのに友人はこんなことを聞いて来たのです。
友「今日はA地点とB地点どっちに泊まりたい?」
(この時点で私は友人がB地点に行きたいんだなあ、と無意識に考えていました。だからそんな質問をするんだろうな、と今まで通りごく当たり前にフッツーに考えて答えました。)
私「もしもB地点に行くとしたら、今からそこに行く為に用意が必要だから、部屋に戻らなきゃならないよ…」
友「mioはAとBどっちに行きたいの?」
私「だーかーらー、Bに行くとしたら今から準備とか大変じゃない?部屋に戻るのに時間かかるし、うんぬん…」
友「じゃあ、Aに行きたいってこと?」(なぜか若干怒り気味)
私「Aに行きたいっていうか、Bに今から行くのは面倒だからAに行った方がいいと思うんだけど!」(そして私も応戦するかのように若干怒り気味)
友「mioはなんで始めからAに行きたいって言わないの?さっきっから、回りくどい答え方でイライラするよ!」
私「は?だってAに行った方がいいに決まってるのに、そっちがBに行きたいって言うからじゃん!」
友「じゃあ最初に聞いた時にAに行きたいって言えばいいじゃん!」
確かに!
ここで私はハッとしました。
そうです、これこそが日本人的思考回路というか気遣いなのではなかろうかと…。
最初に質問された時点で、私は心の中で(ははあ、さてはB地点に行きたいんだな。だからこんな質問するんだな。)と勝手に思い込んでいた訳です。しかも自動的に、全く無意識に。
そしていつもいつもいっつもそうしていました。
質問した相手が欲しいだろうと思う答えを予測して、それに沿った答えをして来た訳です。
日本では全くなんの問題もなく、どちらかとういうとオトナ的対応の部類に属するのではなかろうかと勝手に判断しているのですが、 スムースに事が運ぶよう、お互いの要求を鑑みつつ真ん中とって…みたいなことが呼吸のように当たり前に染み付いていたのです。
しかしここで私がいう相手の要求とは私の想像の範疇でしかなく、自分の要求も相手が考慮してくれているであろうというのも私の想像でしかありません。
同じような価値観の中で長い年月を暮らしているからこそ、自動的にお互いの要求を鑑みるという習慣が成り立っているのかもしれません。波平と舟のように…。
私は友人に説明しました。
私を含め多くの日本人は常に相手の質問の答えを予測して、それに対して答えている、と。
友人は言いました。
なんで言ってもないのに、こっちの要求が分かるわけ?そんなのただの想像でしょ?
しかも自分の要求をはっきり言わないと相手に分かる訳ないじゃん、そんな習慣理解できない。
全く仰る通りです。
そして私は今まで自分の要求がどこにあるのかさえもハッキリ分からないまま、無意識に相手の要求を尊重して来たんだなあと分かりました。
相手の要求を尊重して来たと言えば聞こえが良いかもしれませんが、要するに自分で考えずに相手の考えに従って来た訳です。自分の人生に対して責任感を持っていなかったということです。
今まで全くなんの疑問も持たずに、オトナ的な良い対応だと思って続けて来たことが、ここでは全く通用しないなんて!
それだけではなく、もしも相手の要求だけに従っていたらすごく奇妙がられるし、はたまた利用されてしまうことだってあるかもしれません。
まずは自分の要求をハッキリ言う。そのためには自分の要求を把握していなければなりません。
青筋立てていきり立って主張するのではなく、私はこうしたい、これが欲しい。ただストレートに伝える。
こんな当たり前のことが、こんなにも難しく感じるなんて!
自分にこんなにも愕然としたのは初めてかも…。
ただ、日本人として思いやりの心は常に持ち続けて行きたいと強く思います。
相手の為にではなく、相手を思いやることが自分の気分を良くする、その為に。
ウロコが落ちた記念として書き残すことにします。
写真は期末テストが終わってホッとしてるとこ。
クラスメイトのロシアン女子が撮ってくれました!
A地点とB地点(これが分かる人は相当なオトナっすね!)があり、その日は私は当然A地点に行くと思っていました。
それなのに友人はこんなことを聞いて来たのです。
友「今日はA地点とB地点どっちに泊まりたい?」
(この時点で私は友人がB地点に行きたいんだなあ、と無意識に考えていました。だからそんな質問をするんだろうな、と今まで通りごく当たり前にフッツーに考えて答えました。)
私「もしもB地点に行くとしたら、今からそこに行く為に用意が必要だから、部屋に戻らなきゃならないよ…」
友「mioはAとBどっちに行きたいの?」
私「だーかーらー、Bに行くとしたら今から準備とか大変じゃない?部屋に戻るのに時間かかるし、うんぬん…」
友「じゃあ、Aに行きたいってこと?」(なぜか若干怒り気味)
私「Aに行きたいっていうか、Bに今から行くのは面倒だからAに行った方がいいと思うんだけど!」(そして私も応戦するかのように若干怒り気味)
友「mioはなんで始めからAに行きたいって言わないの?さっきっから、回りくどい答え方でイライラするよ!」
私「は?だってAに行った方がいいに決まってるのに、そっちがBに行きたいって言うからじゃん!」
友「じゃあ最初に聞いた時にAに行きたいって言えばいいじゃん!」
確かに!
ここで私はハッとしました。
そうです、これこそが日本人的思考回路というか気遣いなのではなかろうかと…。
最初に質問された時点で、私は心の中で(ははあ、さてはB地点に行きたいんだな。だからこんな質問するんだな。)と勝手に思い込んでいた訳です。しかも自動的に、全く無意識に。
そしていつもいつもいっつもそうしていました。
質問した相手が欲しいだろうと思う答えを予測して、それに沿った答えをして来た訳です。
日本では全くなんの問題もなく、どちらかとういうとオトナ的対応の部類に属するのではなかろうかと勝手に判断しているのですが、 スムースに事が運ぶよう、お互いの要求を鑑みつつ真ん中とって…みたいなことが呼吸のように当たり前に染み付いていたのです。
しかしここで私がいう相手の要求とは私の想像の範疇でしかなく、自分の要求も相手が考慮してくれているであろうというのも私の想像でしかありません。
同じような価値観の中で長い年月を暮らしているからこそ、自動的にお互いの要求を鑑みるという習慣が成り立っているのかもしれません。波平と舟のように…。
私は友人に説明しました。
私を含め多くの日本人は常に相手の質問の答えを予測して、それに対して答えている、と。
友人は言いました。
なんで言ってもないのに、こっちの要求が分かるわけ?そんなのただの想像でしょ?
しかも自分の要求をはっきり言わないと相手に分かる訳ないじゃん、そんな習慣理解できない。
全く仰る通りです。
そして私は今まで自分の要求がどこにあるのかさえもハッキリ分からないまま、無意識に相手の要求を尊重して来たんだなあと分かりました。
相手の要求を尊重して来たと言えば聞こえが良いかもしれませんが、要するに自分で考えずに相手の考えに従って来た訳です。自分の人生に対して責任感を持っていなかったということです。
今まで全くなんの疑問も持たずに、オトナ的な良い対応だと思って続けて来たことが、ここでは全く通用しないなんて!
それだけではなく、もしも相手の要求だけに従っていたらすごく奇妙がられるし、はたまた利用されてしまうことだってあるかもしれません。
まずは自分の要求をハッキリ言う。そのためには自分の要求を把握していなければなりません。
青筋立てていきり立って主張するのではなく、私はこうしたい、これが欲しい。ただストレートに伝える。
こんな当たり前のことが、こんなにも難しく感じるなんて!
自分にこんなにも愕然としたのは初めてかも…。
ただ、日本人として思いやりの心は常に持ち続けて行きたいと強く思います。
相手の為にではなく、相手を思いやることが自分の気分を良くする、その為に。
ウロコが落ちた記念として書き残すことにします。
写真は期末テストが終わってホッとしてるとこ。
クラスメイトのロシアン女子が撮ってくれました!

0 件のコメント:
コメントを投稿